Diary 2013. 8
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8月11日 (日)  帰省と体重

ここ数日の暑さは 東京も変わりませんが
久しぶりに 駅から出たとたん東京に戻りたくなるような暑さの帰省でした。

8月1日から6日まで お休みをいただきました。
5日までは 帰省で過ごしましたが 休みの時間はあっという間ですね。

帰省すると 悪くなるのは胃の調子。
普段がほとんど二食の生活から 帰省すると飲めや食えやで一日5食くらい。
でも 美味しいものは 入ってしまうのでしょうがない。

行きの新幹線で 朝から飲めるビールと駅弁で満足し
品川駅エキュートで初めて買った テラドーナツが 思いのほか美味しかった。
私の実家 広島市に着いてからは 寿司をいただき海の幸。
もちろん二日目は お好み焼き。

二日後 同県北にある妻の実家では 名産比婆牛の美味しい焼肉。
帰りに新幹線に乗る前に やはり西のうどんは食べとかないと・・・。
あとは 甘栗に穴子飯。
東京に戻って 久しぶりに洋食が恋しくなり
渋谷のVIRONでバケットを買い 夜はワインを頂いた。
自宅土産に買った 下関のうに醤油
これを絡めたパスタを作ってもらい 刻み海苔をかけていただいたがこれも美味。

これで 体重が増えてないわけがない。

妻の実家近くにある 温泉付きプールで 少し泳ぎはしたものの
温泉につかったあと 置いてある体重計は予想外の数字を示した。

美味しいものを思い出しながら
またせっせと ジョギングしている今日このごろです。





8月19日 (月)  無題

8月6日 何年ぶりかに自宅にいたので 8時15分家族で黙祷をした。

今年の記念式典には 映画監督のオリバーストーンも参列したという。
「原爆投下は 戦争を終わらせるために必要だったと教えられてきたがそうではない。
日本は もっと自国からメッセ−ジを発信すべきだ」とコメントしていた。

「はだしのゲン」が島根県松江市で小学生に対して
自由に閲覧できない閉架の措置をとるよう要請しているというニュース。
過激な描写や暴力シーンが問題視されている。

「はだしのゲン」は あくまで一人の子供が過酷な状況下で生き抜いていく[ストーリー]であり
その悲惨な描写だけがクローズアップされるのは 作者として決して真意ではないだろう。
「はだしのゲン」の描写問題は 今に始まったことではなく
戦後 この漫画が世に認められたのは 長い時間がかかったと聞いたことがある。

そういう私が小学生のころは 各クラス学級文庫のように「はだしのゲン」は置かれていた。

お客様と広島の話が出てくると 修学旅行で原爆資料館に行って衝激を受けたという話は多い。
ただ 悲惨な写真だけで 原爆を感じることには 私は抵抗がある。
原爆とは 投下されたその日何が起こったかだけでなく 
被爆した人が その後どう生きていかれたのかも重要なことだと思うから。

私自身 小学生の時 平和教育の一環で
(この平和教育というのも広島独自のものらしいと東京に来て知り 驚きました) 
原爆資料館は何度か訪れていますが
一番強烈に覚えているのは 被爆者ご自身の被爆体験の語りだった。
そこに 写真も絵もなかったが 直接被爆した方の話は
他のどんな映画や写真より強烈に伝わりました。

第二次大戦や原爆が 現代に何を伝えるのかは個々違うだろうけど
私が感じたのは 「自分は自由だ」ということと
戦争で辛い思いをした人に比べれば 自分なんて・・・ということだろうか。

終戦に向かうなか 原爆をはじめとする悲惨なことは受け入れがたいが
今の日本の生活は 多くの犠牲者のもとにあるということを忘れてはいけない。

私が自分のしたいことをしようと今の仕事にたどり着いたのも
子どものころに感じた 自分は自由な時代に生きているのだから好きなことをしたいという意識からだと思います。

現代が生きやすいというわけではありませんが
明日生きることさえ困難だった時を生きた人の話は
今の時代だからこそ必要な(話)なのではないでしょうか。

広島の原爆ドームあたりにいると
ボランティアのガイドの方がいらっしゃいます。
戦後68年 直接原爆を体験した方は少なくなり
広島でも 語りべの方は二世の方になってきています。

もし被爆地に行かれる方は 
直接被爆者の語りべのお話を聞かれることをお勧めします。

戦争を考えるのは
戦闘シーンや 悲惨なシーンではなく
まずは そこにいた人たちの人生を知ることではないでしょうか。

あまり戦争のことを つらつらと書くのもどうかと思うのですが
この8月だけは 広島で生まれ育った者として
何となく 次の世代や原爆を知らない人に
何かしら伝えなければいけないのではと考えてしまうのです。