Diary 2008. 8
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8月11日 (月)  『解かれた封印 〜米軍カメラマンがみたNAGASAKI〜』



8月6日 8時15分
8月9日 11時2分
もし 私が 広島という土地で育たなければ なにだかピンとこなかったのかもしれない。

両日に行われる平和記念式典も 今ではNHKのみでしか放送されることはなくなり
被爆 原爆という言葉は 広島・長崎の地でも 口にすることが拒まれる。

先日 NHKスペシャルで『解かれた封印 〜米軍カメラマンがみたNAGASAKI〜』
という番組をみました。

被爆直後の地で 軍に反し隠れて日本人の様子を撮っていたが アメリカ帰国後も
その記憶から逃れられず 長年封印していた写真の公開に踏み切り
米国中で その悲惨さを訴えても ただ非国民的な 扱いしか受けず 家庭さえ崩壊。
本人も被爆しており 被爆症による皮膚がんなどで 数十回の手術するものの
アメリカからは 被爆のせいとは認められず 85歳の生涯を閉じる。

番組の中で クローズアップされる一枚の写真
その写真を見て もちろん胸が締め付けられる思いですが
私が注目したのは その過去の写真 戦争の悲惨さより
軍事国アメリカでの認識と 親の意思を息子が継ぐということ。

東京大空襲や沖縄上陸など戦争での悲惨な写真は 多くあります。
ただ 広島・長崎の悲惨さは 63年たった今 世代が変わっても
悲しみの連鎖が 続いているということが大きく違うのです。
チェルノブイリもおなじ 被爆とは その場で終わらないという認識を強く持つべきです。

そして 現代では アメリカも日本もない 知らない知ろうとしない 無関心こそが
一番の危機だと思います。

いくらいろんなもので包み込み 隠そうとしても それは 
それらを突き破って そのうち自分たちに突き刺さるだろう

事実 こうしている今でも グルジアの紛争がおこり
イラクでは 多くの悲惨な爆弾で市民が死に
いくら反核をしても 原子爆弾は地上からなくなることはなく

いつも 泣くのは普通の国民で この人たちが何をしたのか・・・。

過去のものではない。
エコ ECOといわれている日本 遠いこの空の下で ECOとはほど遠いことが
今こうしている間にも行われ
それらは 重い扉で仕切られた別の世界でなく つながっている。

世界平和をうたっておこなわれている北京オリンピック
笑って映し出される大統領が 大量虐殺を指示していると思うと
平和ってなんだろと素朴に思ってしまう。


とても良い番組だったと思います。
時間があれば 再放送お勧めします。

2008年8月27日(水)深夜0:45〜1:34 総合
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html












8月25日 (月)  simple

最近 シンプルということについて考えます。

最初に私が 『シンプル』というものに直面し悩んだのはメイクアップです。
メイクアップの場合 『ナチュラル メイク』とも言いますが
それまで <何もしない・・>というのが シンプルのように感じていましたが
手を抜かずに作業して(もしくは 通常以上のことをして)自然に見せる
・・・どうしても 自然でないものが出来上がることに悩みました。

『ナチュラル メイクアップ』は『素顔』ではないのです。

日本人は 美容・ファッション・インテリアなどに『自然』『シンプル』なものを
好む傾向が強いと思います。

思想や精神面でも多く取り入れられているからだとも思えるのですが
たとえば 以前にも触れた『石庭』なんかもそういったものでしょうか。

ただ 石庭は 何もしていない<シンプル>なのか?と言われると
そうではなく そこに不必要なものを全て過ぎ落とした究極の自然を表現していると思います。

こういうシンプルさは
いろんなことを経験しないとわからないことがあります。
「あの人 若い時すごく派手だったのに・・・」とか
「飾りたいだけ飾ってたのにね・・・」とか
本来 シンプルって そういう過程のもとに辿り着くものであって
何も経験してない人が 「シンプルなのが好き・・・」って言うのはどうかと思います。

先日 テレビで 料理家のジョエル・ロブションさんが
「飾り立てた料理より 究極の料理はサラダだ」と言っていました。
これも いろんな料理を知っている人が言うからこそ知りえるシンプルさだろう


シンプルで自然
それは 本質が見えて それをより活かせる物を適切に選んで適切な場所に配置できること
今の私は そう思います。

先日 久しぶりにあるパーティーでヴィヴィアン佐藤さんにお会いしました。
(非建築家、アーティスト、イラストレーター、パーティイスト、ドラァククイーン、文筆家、映画批評家、、、と様々な顔を持つ)
私が東京に来て 一番ショックを受けた人。

渋谷の裏にある 通称『red bar』
広いとはいえない店内は真っ赤で
天井には隙間がないくらいのシャンデリア 
その内装は入った瞬間に気持ちがトリップ。

どちらも一見シンプルとは 程遠いように感じるのですが
でも そのスタイルの一貫性は強く感じられ  シンプルにさえ思えてきます。

「無」ではなく「シンプル」という一つのスタイル
それが 「スタイル」という作られたものであるならば 
目には見えないところにも 計算されたものがあり
簡単だろう思えることの方が 本当はすごく難しいことだ思うのです。