Diary 2008. 2
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2月18日 (月)  小確幸

突然ですが「小確幸」(しょうかっこう)という言葉を知っているでしょうか?
私は 新聞で東京マラソンの市民ランナーの記事を読んで知りました。
村上春樹のエッセイで用いられたようです。

私の好きなテレビ番組のひとつに日曜日の朝7時から放映される「ボクらの時代」というのがあります。
毎回 何らかの関係のある三人がゲストで 対談をします。
前回は 東京マラソン当日ということもあってか 
ゲストの一人に有森裕子さんが主演していて興味深い話をしていました。

彼女は 生まれつき股関節脱臼で 小学生のころ体育は劣等生だったそうです。
小学校の時の先生に「何でも懸命にやれば、何かができる」と言われ
中学校で 皆に人気のなかった800メートル走を選び
毎日 その倍の1600mを走り 校内で1番になったのがマラソンをする大きなきっかけになったという。

なかなか 中学生で 自ずから規定の倍を練習するという発想は おきそうでおきない。
別に 比較するわけではないけれど 先日の大阪国際女子マラソンでの福士加代子選手
初のマラソンに出場して 練習は30kmくらいしかしていなかったという。
過酷なレースで 感動こそよんだが 同じスポーツをする人にとってみれば 無謀な挑戦だったのかもしれない。

ただこういうことは 普段の生活の中でもあることで
これくらいしておけば何とかなるだろう・・・そんな気持ちで望むことも少なくない。
マラソンの場合 倍の練習というのは無理だろうけど
自分が 望む 又は挑むことに 普段からそれ以上の練習・心構えで挑んでも
本番でその力を出すことは容易ではありません。

「後は野となれ山となれ」という言葉。
この言葉を聴いてどう思うでしょうか?
ほとんどの場合 どうにでもなれ・・・どうにかなるさ・・・という投げやり的に解釈されることが多いですが
私は <これまで一生懸命したのだから 結果はどうなってもかまわない
それを受け入れる>という意味だと聞きました。
何もしないで 結果も放り出すこととは違うようです。

日々 仕事にしても 暮らしにしても
村上春樹さんが言う「小確幸」のように
もちろん 小さな達成感や 幸せに感じることが日々をつないでいく力になるのですが
本当の意味での「小確幸」は日々の少し自分を上に持ち上げていくことの積み重ねの上に
また別にあって
それは 更に大きな原動力として自分を進ませてくれるのだと思います。