Diary 2006. 3
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3月9日 (木)  ピアノ

こんにちは。
春一番も先日吹き荒れ 今年もいやな季節が本格的にやってきました。
こんな季節 ほんとなら一番過ごしやすいはずなのに・・・と思いながら鼻をすすり
でも やはり足は外に向いてしまいます。
そんな今日 お店を早めに出られたので 一人、錦糸町にある すみだトリフォニ−ホ−ルに向かいました。
『マルティン・シュタットフェルト』のピアノを聞きにいくためです。

この歳で ピアノのコンサ−トに行くのは今日がはじめて。
妹の発表会以来かな・・・(妹はエレクト−ンでしたが・・)

先日 仕事を終えて帰宅途中にラジオを聴いていたら 彼のコンサ−トの紹介をしていました。
解説の人が喋る後ろで流れているメロディ−を聞いているうちに どうしても聞いてみたくなりました。
それで 帰るなりCDを注文。
ここまでは いつものことですが どうやらコンサ−トがあるらしい・・・3月9日・・・どうにか行けそう・・。
どうしても生で聞きたくなりました・・・というよりその音色の中に身を置きたくなりました。

私が クラシックのコンサ−ト・・・10年前ではありえなかったこと。
初めてパリに行ったとき 二週間部屋を借りました。
机とベットだけの部屋で 高藤氏が「殺風景だね・・・ラジオ貸してあげるよ」と一つのラジカセを貸してくれました。
その日から二週間 今まで聞いてもいなかったクラシックのラジオチャンネルを毎日聞いていました。

朝は 中庭に 登校する子どもたちの声が響きます。
いつもの朝ごはん フランクフルトと目玉焼き フランスパンとヨ−グルトとオレンジ。
(滞在中朝ごはんはほとんどこうでした・・・だってフランクフルトもヨ−グルトも量が多くて・・・おいしいんですけどね)
昼間は ぶらっと歩いたり 駅前のカフェで本読んだり その前の公園で本読んだり
一日 部屋でごろごろ本読んでる日もありました。
夕方には 教会の鐘がなります。それから 近くのス−パ−に買出し。
 ス−パ−の帰りパン屋によって バケットをそのまま持つところだけに紙を巻いてくれて 
持ち帰るのが 少し憧れだったりしてニコニコ帰宅。
長い夕暮れを楽しみながら夕食をしました。
夕食は よく同じマンションで友達になった人たちと楽しみました。

なんだかそんな暇をもてあましたような時間がとても貴重に思えたし
パリという町でそういう普通の時間を過ごせたのは幸せでした。
そう そんな時間の後ろにいつも今日聞いたような音楽が流れていたように思います。

初めてパリに行ったのも3月・・・。
やはり花粉症で成田まで鼻が詰まっていたのに・・・
パリについた日の夕食・・・味がわかる・・・鼻が通ってる・・・治ってる・・?
・ ・・でも帰ってきたらまた しっかり詰まりましたけどね。

話は戻って 今日のホ−ル。意外に場内は満席(失礼)
大きなホ−ルステ−ジの真中に グランドピアノが一台。
よくある 咳ばらいをしてはいけない空気を初めて体験しました。
でも不思議と その旋律を聴いているうちに 先ほどのような情景が思い出され
鼻水が出そうな鼻をハンカチで押さえつつ 目を閉じて聞いていました。

音楽はバッハの ゴルトベルグ変奏曲。
カイザ−リンク伯爵の不眠を慰めるために作られた曲らしいけど不思議と眠りには導かれなかった。
彼 マルティン・シュタットフェルトがどんなにすばらしいピアニストかは 私にはわからないけれど
やわらかい眠りに誘う・・というよりも若い躍動する小さな芽生えにも似た感じがしたのは私の感覚が正しいのかどうだか・・・。
ただ 新しい感性を求めている今の自分にとっては 刺激になったし
エネルギ−をもらえてよかった。

こうして書いている今もCDを聞いています。
なんだか パリのこと書いていたら行きたくなってきますね。
是非 部屋をパリの空気にしたいとき ネットのラジオでRADIO CLASSIQUEというサイトを聞いてみてください。
PCを少し良いスピ−カ−につなげば尚良いですけどね。http://www.radioclassique.fr/
それから 最近この本を読んだせいもあるのかな オオトウゲ マサミ著の『ひとり パリ行き』
最近のパリ事情が 一人珍道中の写真とイラストで楽しく書かれています。

ほんとは バッハだけにドイツのことを書かないといけなかったかな・・。
でも ドイツのこともいつか書ける日が来るでしょう。
とりあえず ワ−ルドカップは行けそうにないけれど・・・。

それでは!





 


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3月10日 (金)  ホテル・ルワンダ

こんにちは。

今日は 先日観れなかった映画『ホテル・ルワンダ』を観に行きました。
今日3月10日で有楽町の上映も終わり。
これも何かの因果なのか 東京大空襲のあったこの日に観ることになった。
この映画の虐殺も 空襲も犠牲者数約10万人・・・。

 先日、観れなかった思いもつのって 映画館下の カフェで一息入れてから意気揚々と観たものの
 とてつもない嫌悪感につつまれた。
感動・?空虚・?無力・?愛・?憎しみ・?差別・?危機感・?利害関係・?単純・?複雑・?
それはどれも???であり!!!でもあった。

これまでどんな虐殺が繰り返されてきたのだろう。
魔女狩り・ホロコ−スト・南京事件・ベトナム戦争・原爆・・・・・・・・。
新約聖書の中にも ヘロデ王が自分に代わって王となる者を放ってはおけないと思い、
イエスが生まれたと言ったベツレヘムとその周辺一体にいた二歳以下の男の子を、
一人残らす殺させた・・・というものまである。
関東大震災後 朝鮮人の虐殺があったことも事実。
そして今なお 正義という名の下に多くの虐殺をしているのも事実。

人種・宗教・民族・国家・・・一塊にしなくとも分かり合えることは不可能なのだろうか。
個人が 集団になったときそれは 牙をむき敵対するものの存在を消す。
今回の映画では相手をゴキブリといい・・ 
日本兵も人体実験をしていたという731特殊部隊のことを書いていた
『悪魔の飽食』では捕虜を一人一人マルタ(丸太)とよんでいた。
他の虐殺や戦争でも同じことであろうが 要は駆除と同じである。

人の欲望は単一化されたほうがいいという話を聞いたことがある。
一番最たるものは 生きるということ。
病気にしろ 戦争にしろ(生きる)ということの下では
皆気持ちが 統一されやすいらしい。
まさに この主人公は (生きる)ことに絞られていくのがよくわかる。
最初自分の家族だけを助けようとする思いから 皆の(生きたい)という気持ちが
(皆で生きるんだ)という気持ちに変化し虐殺とは真逆にいる人たちの強さにも感じた。
ただこれは からくりドアのように いつ、逆の精神状態・立場になるやも知れないことは確かだと思う。

まるでHDDに撮り溜めた映像のように 無駄に多い情報の中を 泳いでいる現代人にとって
欲望を単一化しろというのは 到底無理な話ではあるが
暗闇の社会になったとき あなたは何を選ぶのでしょうか。

映画が終わって、会場から最後に出た。
誰も座っていない映画館の席が妙にやさしく感じた。
明るい場外には 人が溢れていた.

あるアメリカのジャ−ナリストが戦場でこんなことを言っていた。
「日々 犠牲者は増えている。ただ家族を失った子どもや 愛する人を失った人にとって
その数が増えようと悲しみの深さは変わらない」と。

映画館の下の店で 小さな子を抱いたお父さんと傍らでお母さんが笑って電気製品を見ている。
笑顔はいい。
特に子どもの笑顔は気持ちを幸せにしてくれる。

電車に乗って 車内の風景や 外のビルやネオンがやけに薄く見えた。
今の平和や普通とは ガラス一枚の世界なのかもしれない。

でも、どんな日であれ 私にとって とりあえず明日はまた 日が昇るだろう。
それが何よりの幸せに感じた。

それでは。











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3月15日 (水)  パラリンピック

こんにちは。
今日は パラリンピックについてのお話。

アル−のお隣で長年ブティックをされたいたお店が閉じられた後に 最近 鍼灸院ができました。
この鍼灸院の先生がパラリンピックの日本代表の選手をサポ−トされているそうで
「そうなんだ・・・」と思いながら
少しパラリンピックについて調べてみました。

それこそ今 トリノで行われているわけですが
これがまた 日本の選手は活躍されているんです。
オリンピックでは日本は荒川静香選手の金メダル一つに終わりましたが
パラリンピックでは もうメダル5個はとっているんですよ。
あくまで メダルの数というわけでなく 世界の舞台でこれだけ活躍されているということです。
確かに 新聞の記事では載っていますが スポ−ツニュ−スで大きく取り上げられることが少ないですよね。
実際今回 調べてみても 最新の情報が多くありませんでした。

行政の中でも オリンピックは文部省が管轄しているのに対して
パラリンピックは 厚生労働省の管轄で 障害者の訓練というイメ−ジが強くだされているみたいです。
確かに パラリンピックは第二世界大戦後に戦争で負傷した人のリハビリをかねて
スポーツをやろうという事からスタ−トしたみたいですけど
今世界的には オリンピックとパラリンピックは隔てなく認識しているところが多く
今回のトリノでもオリンピックとパラリンピック一緒に表彰するという事が常識になっている国もあるらしいです。
日本では まだその認識は浅そうですね。

また メディアで取り上げられることが少ないために スポンサ−のメ−カ−もつきにくく
選手たちはほとんど自費で道具を購入しているらしいです。
こういうスポ−ツ業界のコマ−シャル戦力もどうかしていますよね。

人に感動を与えることは簡単な事ではありません。
ただ 後から映画などで取り上げられて感動するのではなく
実際の映像でオリンピックと同じように感動できる環境にあればと思います。

 身体的に障害を持った方のこういうがんばりは
今の 引きこもりや二−トなど 身体的に障害があるなしに関係なく内面の問題にぶつかっている人にも
勇気と希望を持たせてくれるのではと思いますし
福祉の問題 今後確実に増えていく人生の第二の目標を持つということ。
これを確実に形にした人たちなわけですよね。

小さい時から ある意味エリ−トでオリンピックに出場する選手。
また 違った大きな挫折や 身体的障害を克服しながらパラリンピックに出場した選手。
どちらがすごいかという問題ではなく 今の時代には両方必要なのではないかと思います。

要は見る側は 普通にスポ−ツとして観戦し 応援したい環境がほしいだけなんですけどね。

金メダルをとって 「感動した」と電話をかけた首相。
パラリンピックのメダリストには電話しているのだろうか・・。
このあたりから 認識を変えてもらわなければいけないように思うのでした。

それでは。