Diary 2012. 8 |
8月14日 (火) 平和の像「若葉」 扇風機のタイマーも切れて 今日は暑いからと エアコンのリモコンをピッ。 暑いっ!!!と寝苦しく 寝汗もひどく なんて今日は暑いんだ!!起きてすぐにシャワーを浴びたのですが 見てみると 暖房になっていました・・・・ オリンピックも終わり 夏も 折り返し。 先週は お休みをいただき久しぶりの広島。 帰省した 次の日の朝 平和公園までジョギング。 気温は 東京より高いはずですが 日陰さえ選んで走れば 広島市は 街中を川が6本流れていて それぞれ それなりの川幅の橋を渡る時の風は 心地よい。 平和公園につくと 8月6日におこなわれる平和式典の準備がされていました。 公園内を少し歩き ひとつの銅像の前で立ち止まりました。 それは 平和の像「若葉」(湯川秀樹歌碑) 詳細はHPを引用します <建立年月日 昭和41年(1966年)5月9日 「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」 という湯川秀樹の歌をきざんだ碑です。(「まがつび」とは、災害・凶事を起こす神。) 「中間子理論」を確立した日本初のノーベル賞(物理学賞)受賞者湯川博士は、 昭和29年(1954年)アメリカの水爆実験に衝撃を受け、 以後、世界科学者会議(パグウォッシュ会議)を開催するなど 核兵器と戦争の廃絶を訴え続けました。 「私は、真理の探求ということを誇りに思うし、 自信を持っているし、私は一生それを貫いてきた。何の悔いもない。 けれど、8月6日のあの事件を聞いたときに 科学者は科学者としての自分に対する責任があることを知った。」(湯川秀樹) 少女と子鹿のブロンズ像は、 広島県御調町生まれの彫刻家、円鍔勝三さんの作品です。> 広島にいるときは 足も止めなかったブロンズ像。 ただ ここに書かれている意味を知ったとき これ(原爆)は神災ではなく あきらかに人災であり それは 去年の原発事故も同じであるわけで なんとなく腑に落ちない 憤りを感じるのです。 自分は どれだけ 広島のことを知っているのだろう。 あらためて 「住む」「そこにいた」ということを考えました。 あすは終戦記念日 戦争・災害 すべて過ぎたことだと言えばそれまでだが 今こうして過ごせるのも そういう多くの犠牲と復興の尽力に尽きる。 二度と過ちは繰り返さない 犠牲者の冥福という意味も大いにあるとは思うが 式典とは 現在までの感謝の気持ちもあるのではと この歳になって感じた夏でした。 |
8月24日 (金) 北軽井沢ハイランドリゾートホテル けたたましいセミの声もアブラ蝉からミンミン蝉に変わってきました。 羽が透明なセミが鳴き始めると 夏も終わりに近づいたといいます。 でも連日の猛暑。 ほんとに夏も終わりに近いのか・・・。 そんな暑い東京から抜け出し 家族で1泊だけ北軽井沢ハイランドリゾートホテルに行きました。 仕事を終えて関越道へ 横川SAでエアーベットを車中に広げ就寝 翌朝 SAで朝食。 空気は 肌寒く 上着を羽織るくらい。 車から降りてくる人たちは 皆口々に「寒〜〜」 食事を済ませホテルに向かいました。 新しくはない施設ですが アーチェリーやテニス・ボーリング・ビリヤード・卓球・プール・パターゴルフなど 施設内で 十分に遊べます。 今回は ホテル内のコテージを利用しました。 私が何より楽しみにしていたのが ハンモックの貸出が有りそちらを注文しました。 天気はホテルの人も「こんなに浅間山がはっきり見えるのは 珍しいですよ」 と言われるくらい快晴。 コテージもミニキッチンがついて 十分な広さ。 ウッドデッキもついていて お願いしたハンモックもセッティングされていた。 一泊で帰るのが惜しい・・・。 昼間は 十分に遊び 夜は バーベキューを注文していたのですが さすがホテル 食材など準備万端の中 優雅に(?)ベーべキューが楽しめた。 やはり 気温が低いせいなのか 意外と虫が少なく ホテルの人に聞くと 「もう白樺の上の方は 紅葉してますからね」と言われた。 ハンモックは ブラジリアンハンモックで 大人2・3人でも乗れるくらいにゆったりしている。 私は ゆっくりハンモックに揺られながら 本でも読もうと思っていたのだけれど 結局 子供たちに占領される時間の方が長かった。 でも ハンモックから見る緑は綺麗で 木々が風に揺れているのを見ていると いつの間にか うたた寝していました。 クーラーなしで これほど涼しいとは 一週間・・・いや一ヶ月・・・いや夏の間・・・居られればいいのに。 ・・・と現実はそうもゆかず 帰路の途中 東京に近いSAによって車から降りると 灼熱の太陽がお出迎え。 あ〜〜戻ってきた・・・と実感させられるのでした・・・。 |